東京五輪?

東京オリンピックの時、聖火リレーの走者を務めた」とホラ吹き半分で言うと、たいていの人が「へえー」と驚いてくれる。全くのウソではない。高校1年生だった1964(昭和39)年秋、アテネで採火され、日本に届いた聖火は国内でいくつものルートに分火され、全国の青少年の手で東京まで走り継がれた。そのひとつが京都市域を通過する際、上京区内の数kmをちょこっと走ったのだ。
聖火を持つのはフォームのきれいな陸上部員、こちらはその後ろを走る伴走者だった。その時、ランニングシャツの胸に付けていた五輪マークのゼッケンを、母親がアイロンをかけてその後も大事に保管してくれていたが、いつの間にかどこかへ行ってしまった。
あれから42年、きのう開かれたJOCの会合で東京が2016年五輪の国内候補地に選ばれた。「もう一度、日本ここにありを世界に示したい」という石原慎太郎都知事の訴えが支持を得た。
11票差で敗れた福岡市は残念だっただろう。市役所ロビーの大画面で「敗退」が決まった瞬間、広がる落胆の中で拍手している姿があった。五輪開催を「税金の無駄遣い」などとする招致反対派の人たちだ。少数意見を表明することに異論はないし、十分尊重されるべきだとも思うが、あえて場の雰囲気に挑むかのような姿勢には不快感を持った。
五輪、万博、空港、新幹線、高速道路など大型のプロジェクトには反対論が付きものだ。政権の人気集め、財政難、環境破壊などそのつど反対理由は異なるが、公共事業の妥当性や利権に対する市民の目は年とともに厳しくなっている。先に立候補して落ちた名古屋、大阪が再度の名乗りをあげなかったのも、こうした世論の見極めがつかなかったからではないか。
「アジア初」をうたった42年前の東京五輪には、それなりの意義と夢があった。10年後の東京五輪は何をめざすのか。対抗する海外のライバル都市の分析もいいが、まずは反対する人々も含めて国民に分かりやすく開催の理念や運営、費用負担について具体的に説明する必要があるだろう。「アジア初の2回目」だけではこの時代、とうてい理解は得られまい。