お化け屋敷

逢魔が時(おうまがどき)」という言葉がある。日が沈み、あたりが薄暗くなる夕方を昔の人はこう呼んだ。この時間帯は、災いをもたらす悪魔に出くわすとして、表で遊んでいる子どもたちは早く家に帰るよう諭された。

人は暗がりを恐れた。夏の夜、幽霊などの話を聞かされると、トイレに行くのが怖かった。母親の実家へ行った時など「砂かけババア」が出ると言われていた野小屋の前を一目散に駆け抜けた思い出もある。

そう言えば、近ごろ「お化け屋敷」をあまり見かけなくなった。京都でも比叡山頂や京都タワーにあったが、いつの間にか姿を消した。戸を開けたら自動的に照明がつき、フタまで開く、明るくて清潔な洗浄トイレのご時世だ。幽霊やお化けの出番がなくなったとしても無理はない。

かつて比叡山の「お化け屋敷」に30年間携わってきたIさんを取材したことがある。もう20年も前になるが、すでにIさんはその時から危機感を持っていた。「今は夜自体が寂しくなくなった。科学知識の普及で幽霊なんて信じている子はいない」。

比叡山お化け屋敷の売りはローテク、つまり機械仕掛けによらない手動式だった。客の反応を見ながら効果音を流し、お化けを出すタイミングをはかる。恐怖は、それぞれの人が持っている想像力の豊かさに比例する。「客が悲鳴の連続ならOK、涼しい顔で出口まで来られたらガックリ」と話していた。

今はわざわざお化け屋敷へ出向かずとも、新聞やテレビを見れば戦争、殺人、誘拐・監禁、暴力…とおぞましい現実の事件が目白押しだ。お化け屋敷の減少は、こうした日常の中で見えないものを想像する力がだんだん低下しているということかもしれない。もしそうならば、それこそ怖い話だ。