はかなき墓参り

お盆でお墓参りの人が多い。東西本願寺をはじめ、大寺院の墓地が連なる京都・東山山ろくは、墓参のマイカーでここ数日大渋滞だ。

すでに10数年前に両親とも他界しているが、世間並みに墓参りをしようとしても、わが家では行くところがない。両親の死をきっかけに、寺を抜けたのだ。ろくに説法もできず、信者獲得と寄付督促にしか関心のなさそうな住職に愛想が尽きた。

教団を脱退したら、信者組織の幹部が来て、仏壇から仏具に至るまで全部引き揚げていった。両親が購入したものだから、教団が勝手に持ち去ってよいはずはないのだが、当方もいずれ処分に困るから黙って見過ごした。問題は、寺の納骨堂に入っている両親の遺骨。小さな墓石とともに骨つぼがロッカー式の「墓」に納められていた。寺の規則で遺骨は返還しないとされている。法的に争えばこちらに勝ち目はあるはずだが、いくら拝金主義の寺でもそう粗末には扱うまいと思い、そのままになっている。

そもそも庶民が石の墓を建てるようになったのは近世の中ごろからといわれている。『冠婚葬祭のひみつ』(斎藤美奈子著)によると、もともとの仏教の教えには葬式という発想はなく、位牌、仏壇、戒名、年忌法要などの決まりがつくられたのは元禄以降のことらしい。それまで庶民は遺体を埋めたらそれでおしまい。目印に木をさしたり、自然石を置く程度はしても、墓石のように長く残すことは考えなかったという。

いまひそかに「ネット墓参り」がはやっているそうだ。俗名、戒名、生没年、経歴、趣味、写真、生前の声など「故人情報」を登録して墓石のタイプを選ぶ。お参りは、先方から送られてくるID、パスワードを使ってお墓にアクセスし、線香から水、花、供物までマウスを使って画面上の「墓前」にお供えする。読経や音楽が流れるものもある。

なるほど、ずぼらな割に先祖の供養が気になる人にはぴったりかもしれない。しがし、うちの両親は大正生まれのアナログ人間、残念ながらこんなデジタル墓参は通じそうにない。