なぞり本

出版社の営業部門にいる旧友が先日、勤め先に訪ねてきた。高校時代の友達だから、会うのも数十年ぶりだ。東京に本社のある小さな出版社で、彼は主に関西地域の書店を担当しているという。
「近く出す新刊書を見てほしい」と言う。かばんから取り出したゲラ刷りを見せてもらった。「青い山脈」「高校三年生」など昭和のヒット歌謡50曲の歌詞が、見開きに1曲ずつ薄い字で印刷されている。その歌が流行したころの「わたし」を書き込む空白のページもある。歌詞を鉛筆でなぞり、自分史をつづりながら若き日を懐かしんでもらおう、という趣向だ。
近ごろ「なぞり本」として、この種の本が売れている。中身は「般若心経」から「奥の細道」「百人一首」までさまざまだが、下地に書かれた薄い字をなぞりながら、その教えや文章、リズムを味わえるというのが売りだ。奈良や京都のお寺では古くから「写経」が行われているが、その書籍版といったところか。中には何万部も売れているものもあると聞く。
「活字離れ」で、中小の出版社では深刻な不況が続いている。1匹ドジョウが釣れると、同じ柳の下で2匹目、3匹目のドジョウを狙う者が出る。同工異曲、なぞり本のなぞり。「パクリと言われるかもしれんけど、うちなりにアイデアを出したつもり。いくつかの書店で見本を見てもらったけど、これならいけますと言うてもらえた」とうれしそうに手ごたえを話していた。
実を言うと「なぞり本」の火付け役となった「大人のぬり絵」を何冊か持っている。その1冊目のレッスン1「ぶどう」のぬり絵に取りかかったものの、あっさり「未完」のまま机の隅でホコリをかぶっている。生来の「三日坊主」のせいも多分にあるが、しょせん人の描いた跡をなぞるのは面白くないのだ。むろん人それぞれだが、文字や線ひとつ下手でも自分なりに鉛筆を運ぶほうが楽しいのではないか。
そう言いかけたが、目の前で新刊のセールスポイントを一生懸命説く友の顔を見て、言葉をのみ込んだ。そろそろ本が書店に並ぶころ。売れていたら、うれしいのだが。