卍考〜その3

この夏、サッカーW杯の開催地・ドイツで、阿波踊りを通じて国際交流を深めようと張り切っていた徳島県阿波踊り協会が、思わぬ問題にぶち当たった。阿波踊りに着る浴衣の多くに「卍(まんじ)」の柄が入っており、ナチスのマーク「ハーケンクロイツかぎ十字)」とまぎわらしいとの声が上がったためだ。
阿波踊りの浴衣にあしらわれている「卍」は、江戸時代の徳島藩主・蜂須賀家の家紋であり、ナチスとは何のゆかりもないが、協会側は「楽しい踊りを披露する場なので配慮したほうがいい」として別の衣装を新調した。無用の衝突を嫌う日本人らしい気配りだったが、一部には「過剰反応」との批判も出た。
蜂須賀家と同じく、津軽藩主の津軽家も「卍」の家紋で知られる。長らく地元・弘前市の市章として使われてきたが、合併後の新市でも使うかどうか、いま市民らの間で論議を呼んでいると聞く。こちらはナチスうんぬんが問題になっているわけではなさそうだが、弘前を訪れる外国人旅行者の中には不快感を示すこともあるという。
ナチスかぎ十字については、いまなお世界各国、とりわけ欧米で嫌悪感や不快感が強く、現在もドイツでは学術目的を除き、公の場での展示や使用が法律で禁じられている。米マイクロソフト社は2004年、かぎ十字とこれに類似した逆卍(右万字)を「不適切な記号」として全世界向けのOAソフト「Office 2003」から削除した。このブログでも「卍」は出せても、右万字を表示できないのはこのためだ。
また、1947年の創設以来、「卍」をシンボルマークにしてきた少林寺拳法も、2005年度から新しいマークに変更している。この場合も、欧州での普及にあたって、ナチスかぎ十字と混同されることを避けたらしい。
ナチスの党旗デザインは、歯科医の発案によるもので、ヒトラーが多くの提案の中から選んだとされる。一説には、ゲルマン語の古代文字で太陽を表す「S」を重ねたともいわれている。いずれにせよ、仏教伝来の「卍」「逆卍」と無関係であることは明らかだ。
一方、武家の「卍」家紋は、仏法に基づく吉祥と加護を願って付けられたものと考えられる。国際交流の場で相手の立場を尊重するのは大切だが、必要以上に自らの主張を曲げたり、立場を抑えるのは卑屈というものだ。対等の立場で互いに正々堂々とわたり合うのが、真の相互理解を深める道だと思う。「卍」もむやみに消し去るのではなく、その由来や民俗、文化をきちんと説明して理解を求めるのが筋だろう。
「京都のお地蔵さん」から話がずいぶんわき道にそれてしまった。残念ながら「卍」がなぜお地蔵さんのシンボルになったのか、という当初の疑問は残ったままだ。他日の宿題として、もう少し京の町を歩いてみようと思う。
     
【写真は左から、お地蔵さんの卍(京都市北区)、逆卍(京都市上京区)、かぎ十字の腕章を付けたヒトラー文藝春秋社「大世界史」)、ナチスの旗には右万字と同じく傾きのないものもある(小学館日本大百科全書」)】