飛鳥美人の消滅

けさの新聞に「消えゆく白虎」の大きな見出し。大詰めのプロ野球ペナントレースで、首位中日との天王山、3連戦の初戦を落とした阪神タイガースのことかと思ったら、そうではなかった。奈良・飛鳥の高松塚古墳壁画のニュースだった。
カビの増殖で傷みの激しい石室内の壁画を、きのう文化庁が34年ぶりに報道関係者に公開した。各紙とも特集を組み、1972年に発見された当時の壁画の様子と対比する形で無残な現状の写真を掲載している。
「ほぼ消失」とされた白虎だけでなく、青竜も女子群像も灰色にくすみ、かすかに彩色が浮かぶ程度にまで劣化が進んでいるそうだ。発見直後、新聞に掲載された鮮やかな「飛鳥美人」のカラー写真を、大切に机のガラスの下に入れて眺めていた親しい刑事の顔を思い出す。
この春、高松塚古墳に隣接して設けられている資料館で、原寸大で復元されている石室模型を見た。大人ひとりが寝返りも打てないほどの狭さにまず驚いた。あれほど大きく報じられた四方の壁画が、想像以上に小さかったのも意外だった。
だれが、どうやって、どんな思いで描いたのだろう、などと思いながら模型の中をぐるりと見回した。そばの説明板には、画工が小さなろうそくを手元に置き、狭い石室にかがみこんで絵筆を走らせている光景が描かれていた。
古墳を造営した主も、壁画を描いた絵師も、まさか1300年後にあばかれて、こんな騒ぎになるとは想像もしなかったに違いない。亡き被葬者への畏敬(いけい)と鎮魂の思いを込めて、永遠に墓を閉じたはずだった。
「考古学は、発掘という名の破壊だ」と言う人がいる。宮内庁が古代天皇陵の発掘調査をかたくなに拒み続けているのも、これを理由のひとつにしている。封を開けたから、われわれはすばらしい文化遺産を目にすることができた。でも開けたから、その遺産はわれわれの代で消滅することになった。
形あるものはいずれ消える。それでいいのか。いにしえの飛鳥人に聞いたら、どう答えるだろう。