敬語の使い方

事件記者として警察取材をしていたころのこと。朝に、夕に、担当の警察署内をうろついて刑事課、防犯課、交通課…と順番に部屋をのぞいて回るのだが、どこへ行っても大きな声をかけられる。「ご苦労はんッス」。京都府警だけかもしれないが、顔を合わせたときに交わすあいさつだ。
トイレで会っても「ご苦労はんッス!」。慣れないうちは戸惑ったが、いつの間にか自分も使うようになっていた。いまでも旧知の刑事と飲みに行っても、待ち合わせ場所では互いに「ご苦労はんッス」。「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」「さようなら」「失礼します」…みんなこの一語で済ませられる。思えば、ずいぶん便利な言葉だった。
きのう、国の文化審議会国語分科会が、敬語に関する指針案を公表した。「尊敬」「謙譲」「丁寧」の3つに分類されていた敬語に「丁重」「美化」を加えて5分類にしようとする案だ。
「丁重語」は自分の動作や身内のことをへりくだって表す言葉で、「参る」「存じる」「いたす」「小社」「愚妻・愚息」などが挙げられている。「美化語」は「お酒」「お化粧」「お料理」などで、聞き手に上品な印象を与える表現とされる。ただし、あまり上品すぎて「おビール」なんて言うのはおかしい。カタカナの外来語には「お」を付けないのが原則だ
この指針案では「ご苦労さん」も取り上げられている。本来は、目上の人が目下に対して使う「ねぎらい言葉」だが、現実には「ご苦労さまです」などと部下が上司に言うことも多い。京都府警の「ご苦労はんッス」は、どちらにも使われていたように思う。
「お疲れさん」も同じ部類だ。今回の案では、これらについて「基本的に上位者から下位者に向けたもの」とクギを刺したうえで「言葉の程度に気をつければ、だれに対しても使える。目上の人には感謝の気持ちを表す言い方を」との見解を付け加えた。理屈とは別に、現実の使われ方も容認した格好だ。
目上・目下の区別や礼儀、あいさつなどがおろそかにされがちな今、敬語の乱れは甚だしい。「この電車には、ご乗車できません」。JRの駅でこのアナウンスを聞くたびに引っかかっている。