公衆の面前

朝の出勤時、道路わきに4人ほどの大きな男が車座になって地べたに座っている。建築中の家の前で、服装からそこの建設作業員だと思ったが、一瞬異様な気がした。
その前の日には、タクシーで麩屋町通を南進中、右側の路肩で男性が仰向けに倒れていた。車にはねられたのではないかとハッとしたが、すぐ状況がのみ込めた。通りのわきでビル建設が進んでおり、その作業員が昼休みで休憩していたのだ。
まだある。さらに1週間ほど前。烏丸丸太町交差点の歩道上。同じように、作業服姿の男性2人が顔の上にタオルを置いて歩道の端であおむけに横たわっている。周囲の様子から、すぐ昼休みだと分かったが、瞬間的にギクリとしたのは事実だ。
白昼、大勢の人が行き来する道端に座ったり、寝転んだり。当人たちは「時間待ち」や「休憩」のつもりかもしれない。手近に休憩できる適当な施設がないこともあるのだろうが、あまりにもマナーが悪すぎる。現場を預かる責任者がいるだろうに、何も注意しないのか、注意されても守らないのか。交差点の歩道工事など明らかに公共工事であり、よほど事業主の京都市に言いつけてやろうかと思ったが、そのままになっている。
いったいに最近、公と私の場を区別する意識が薄れてきているように思う。地下鉄の車内ひとつを見ても、携帯電話は言うに及ばず、ポンポンと化粧に余念のないお嬢さんから、おにぎりをパクつくおばさん、ベタベタいちゃつく若いカップル…「公衆の面前で」という言葉など、もはや死語同然だ。
少し前、乗ったJR車内で高校生らしき男子3、4人がドア付近に立ちながら大声で話していた。「おれが」「おれも」と汚い言葉遣いにあきれていたら、どうやら学校で先生にしかられた帰りらしい。ひとりが「怒られる時、一番したらあかんのは首をひねったり回したり、うっとうしいなあ、ちゅう態度や」。相棒が「そや、そや。そんなんしたら、よけい怒りよる」。「ええこと教えたろか。そんな時は黙って、相手の足元をじっと見とくのや。そしたら、反省してるみたいに見えるのや。そのうち向こうがあきらめよる」
毎日、こんな生徒が相手では先生も大抵ではない。この手合いが卒業して社会に出るのだから、推して知るべし。安倍首相ならずとも「美しい国」いずこ、のため息が出る。