分かれた「民意」

1勝1敗。プロ野球の日本シリーズを見た後、テレビのチャンネルを替えたら、ちょうど滋賀県栗東市長選の「当確」速報が流れたところだった。新幹線新駅の建設推進を掲げる現職が、「凍結」「中止」を訴えた2候補を抑えて、再選を果たした。7月の県知事選では、建設凍結を主張した女性候補が推進派の現職知事を破っている。これで、こちらも五分五分のタイになった。
野球は4つ先勝したほうが日本一、とルールが明快だが、こちらのほうはそうはいかない。2期目を勝ち取った現職市長は「市民の支持を得た」として、凍結に傾きかけた新駅計画を一気に前進させようと勢いづいている。一方、凍結派の県知事は「凍結と中止を訴えた2候補を合わせると6割もの得票があった。建設見送りがあらためて支持された」と負けてはいない。どちらも「民意はわがほうに」として、譲る気配はない。
双方が「民意」を自らに都合よく解釈して綱引きをしている図がこっけいだ。主権在民の世、民の意思は尊重されなければならないが、水戸黄門の印ろうのように、この言葉さえかざせば、みんなひれ伏すと思っているわけでもあるまいに。
テーマを絞った住民投票ならまだしも、首長選挙はひとつの政策の是非を問うものではない。選挙の争点は多岐にわたるほか、政策だけでなく、候補者の人柄や経歴、イメージ、利害、組織、しがらみなど投票行動を左右する要素はいくつもある。だから、その結果をひとつの政策選択の「民意」とみなすことには無理があるのだ。
住民生活や巨額の公金投入にかかわる行政運営には、もっと現実に即した判断が必要だ。勝っておごらず、負けてそねまず。スポーツの世界と同列に論じるつもりはないが、選挙期間中の対立や勝ち負けをいつまでも引きずるのはよくない。
昨夜、当選にわく現職の選挙事務所に知事が突然姿を見せた。居合わせた人たちから「おーっ」とどよめきが起こったそうだが、ふたりは「よい滋賀県栗東市をつくるため頑張りましょう」と握手してカメラに収まった。ともに表情はぎこちないが、まだ歩み寄れる余地は十分あるように見える。
推進にせよ、凍結にせよ、双方が具体的なデータや情報を出し合う場を重ね、見通しや可能性、懸念を率直に示して、本当の「民意」を探る努力を傾けるべきではないか。