もう来た年賀状

早々と来年の年賀状が届いた。消印のところにイノシシが印刷された2007年のお年玉付き年賀はがきだ。いくらなんでも、と裏面を見たら「喪中欠礼」のあいさつ文が書かれていた。「年賀」としてではなく「旧年」のうちにあいさつだけしておきます、とのメッセージなのだろう。
年賀状が売り出され、デパートなどにクリスマスの飾りが登場し始めると、住所変更通知とともに「喪中欠礼」のはがきが増えてくる。住所録を訂正するほうはよいが、長年なじみの名前を抹消するのはつらい。
きのう届いた「喪中欠礼」は、かつて親しくしていた元警察署長からのものだった。当時、こちらはまだ28、9歳。そのころの警察の定年は55歳だったから、もうかれこれ80代半ばのはずだ。文面を見ると今年4月に103歳の母上、9月に78歳の弟さんが亡くなったとの由。ご自身も「2年前から関節リウマチ症などで入退院を繰り返し、歩行困難状態」とあった。
剣道場で竹刀を振り回していた署長時代の元気な姿を思い出す。あのころの署長クラスといえば、どなたもずいぶん年取っているように見えたが、いまは自分がもうその年齢を超していることに気づいてがく然とした。
「今年の秋は暖かすぎる」などとぼやいていたら、きのう近畿でも木枯らし一番が吹き、急に冷え込み始めた。遅ればせながらの物思う秋。
少年老いやすく、学成り難し。一寸の光陰、軽んずべからず。
高雄のモミジも、今年は色づかないまま冬を迎えるのではないかと心配されている。
06年ももう残り50日余。時ならぬ「年賀」に「喝」を入れられ、安逸な日々を反省した。