おばんざい

かねて疑問に思っていることがある。「おばんざい」。たいていの本、いやすべてと言っていいほどの書物に「京都で日常食べるおかず」と書かれている。ところが、戦後まもなく京都・中京で生まれ、上京で育ち、いま北区に住むわが日常生活の中でいまだ「おばんざい」なる言葉を一度も使ったことはないし、聞いたこともない。
もちろんブームとなった「おばんざい」について話題にすることはあるが、周りの京都人に尋ねてもブームとなる前から「知っていた」という人は皆無である。個人的な体験で言えば1980年前後に京都府庁近くの昼食屋で「おばんざい」と書かれていた品書きを見たのが初めてだ。失礼ながら、店のおかみさんの年格好から付けたオリジナルメニューかと思った。連れて行ってくれた先輩から「京都ではおかずのことをそう呼ぶんだ」と聞き、家に帰って母親に尋ねたが、彼女も「へえ」と言うだけで知らなかった。
「おばんざい」の普及に最も力があったのは、京都・祇園生まれの随筆家・大村しげさん(故人)だろう。京言葉をそのまま文字にして「おとふのおし(お豆腐のお汁)」「おこうこの煮(た)いたん(たくあん漬けのたいたもの)」などと言われると、ふだん何気なく食べているおかずが「よそいき」に見えた。いまや京都にとどまらず各地に「おばんざい」の店が広がっているのも、このやわらかい語感が「おふくろの味」と重なって人々をひきつけるからだろう。
大村さん自身が著書『京のおばんざい』で書いている。「おばんざいは(略)京都だけの言い方ではないようです」。同書によると、江戸後期の料理本『年中番菜録』に「民家の食事に関東にてはさう菜と称し関西にて雑用ものと唱ふる…」とあるそうだ。関東の「惣菜」はいまも使われている。関西の「雑用(ぞうよう)もの」は、京都では「おぞよ」と呼ばれ「おばんざい」とともに「おかず」を指したという。
こう考えると、語源のせんさくはともかく、1970〜80年代と言えば日本人の食生活が豊かになり外国料理や高級店志向が出始めたころだ。あえて身近な食材と調理法を「おばんざい」という言葉で紹介した大村さんの功績は大きい。
ふと、こんなことを書いたのも、徳島から届いた「なると金時」=写真左=がわが家の食卓に上ったからだ。大村さん流に言えば「おいものたいたん」=写真右=。素朴な旬の甘味に幸せな気分を感じた。