「前の戦争」

「京都で『前の戦争』って言ったら、応仁の乱のことを指すんだよ」。先日、ある酒席でそんな話が出た。言い出したのは、東京の大企業から京都の会社へ出向で来ている役員さん。別の役員や地元会社の幹部も「へえ」「そうそう」などと相づちを打っている。
せっかくの話題に水を差すつもりはなかったが、話が一方的に傾きかけたので声を上げた。「そんなことありませんよ。私は京都で生まれ育ち、ずっと暮らしてますが、『前の戦争』が応仁の乱なんて、一度として言ったことも聞いたこともありません」。
だれが言い出したのか知らないが、この「応仁の乱」説は広く伝わっている。京都の歴史はそれほど古いんだ、あるいは京都人はすぐ古いことをハナにかけたがる−良い意味にも悪い意味にも使われるたとえ話である。
京都に限らず、お国柄や県民性、広くは国民性についての話題は、どこでもたいてい面白おかしく語られる。ベストセラーの『世界の日本人ジョーク集』(中央公論社)を読むと、日本が国際社会でどう見られているかがよく分かる。
この手の話に誇張や皮肉は付きものだが、極端な決め付けや誤解、悪意を含んだ偏見は注意したほうがいい。「応仁の乱」説はそんなものとは違うが、それだけにいつの間にか地元でも抵抗なく受け入れられてきたようだ。
落語の「京の茶漬け」もしかり。「それぐらいよろしいやおへんか」なんていう大人の京都人の冷ややかな笑いを承知の上で、いわれなき「定説」は覆しておこうと思う。