京都の灯が消える

「火が消えたような」は、寂しくなった形容だ。「灯の消えた街」と言えば、衰退した街というイメージになる。
これらと意味は違うが、京都市が市内の夜間照明を消そうと呼びかけている。16日に京都で開幕する「気候変動に関する世界市長・首長協議会」に合わせて「省エネの街」を内外にアピールしようと思いついたらしい。
市の呼びかけに、90の事業所が理解を示しているという。会議初日の16日は京都タワー、二条城、京大時計台をはじめ、デパート、オフィスビル、工場など265カ所が建物外観の照明を消すそうだ。
市の試算では、市役所本庁舎だけでも1カ月の消灯で二酸化炭素排出を0.1トン削減できるとか。265カ所もの一斉消灯は16日限りだが、市庁舎や二条城などでは月末まで続けるという。
市はこれを機に省エネ機運を定着させたいとしている。それはそうだろう。会議が終われば元通り、さあ夜桜だ、花灯路だ、というのではあまりにも現金すぎる。
かといって、京都の街がずっと暗いままでよいかどうか。環境問題は観光、企業活動、市民生活など幅広い観点から論じられるべきだ。「環境」という錦の御旗の下に、文字通り「灯の消えた街」になってしまっては元も子もない。