初任給の思い出

通勤電車の中で新入社員らしき若い男性が話し合っている。初給料が出たのだろう。どうやら飲みに行く相談らしい。
30数年前のわが記憶をたぐる。いまのように味気ない銀行振込ではなく、当時は現金の入った給料袋を上司から手渡しでもらったはずだ。はっきりとは覚えていないが、中身は5、6万円だったかと思う。
初任給をもらったらこうしようと、心に決めていたことがある。大学のゼミ教授を食事に招待しようというものだ。特に成績が良かったわけではない。目をかけてもらった覚えもない。ただ何となく「社会人」第1歩を自分なりに実感したかったのかもしれない。
行った先は、北白川の民芸料理店。就職浪人中の友人も一緒に招いた。少し遅れてやってきた先生は「出掛けに同僚教授から『いまどき、美談ですなあ』って、うらやましがられたよ」とうれしそうに話してくれた。
当時65歳前後だったろうか。大新聞の欧州特派員、論説副委員長から東大新聞研究所長などを歴任、日本新聞学会長をしておられた。湘南・逗子の自宅から京都の大学まで新幹線で通い、かばんにはいつもフランスの高級紙「ル・モンド」が入っていた。
甘党で酒が苦手、真面目を絵に描いたような先生だったが、その晩は興に乗っていろいろ話をしていただいた。最後にひと言「良い記者になってください」。その心得を尋ねたら「健康であること」。恩師亡き後久しいが、いまになってその言葉の重さを痛感している。