親の責任

「追い打ち」にならなければよいが…。きのうの夕刊記事を見ていて、そう思った。
津地裁大麻取締法違反(所持、栽培)などの罪に問われた男性に懲役3年、執行猶予5年の判決が言い渡された。気になったのは「武村元蔵相長男に有罪」の見出しだ。罪状や判決の中身より、武村正義元蔵相の「長男」ということが強調されている。
男性は、元短大助教授で44歳。元蔵相の長男には違いないが、「元助教授」の肩書だってある。親がかつて県政、国政の要職にあったからといって、いつまでそれでうんぬんされねばならないのだろう。
判決後に裁判官から「(父の存在は)重荷だったのか」と聞かれ、男性は「重荷だった時もあります」と答えたという。前後のやりとりが不明なので、裁判官の真意は分からないが、この質問にもいささか違和感を覚える。
男性の逮捕時、元蔵相が「世間を騒がせて申し訳ない」といった趣旨のコメントをしていたように記憶している。親としては、こう言うほかあるまい。
わが子が罪を犯したのだから、親としての責任は免れない。しかし、親もまたわが子が引き起こした不祥事で深く傷ついているはずだ。いくらかつての公人とはいえ、44歳にもなる息子の個人的な犯罪に、それ以上の責任を問うのは酷ではないかと思う。