「馬鹿車」返上へ

「さきに京都にて一時流行せし自転車(一名馬鹿車)はこのごろ大津市街にうつり…」。1885(明治18)年4月23日付『日出新聞』の記事だ。
明治の初め、西洋渡来の自転車は、たちまち各地に広がった。速くて便利な半面、未熟で乱暴な運転から事故を起こしたり、歩行者を脅かしたらしい。人々から「馬鹿車」と呼ばれ、反感も強かったことがうかがえる。
昨年の自転車による交通事故は17万4000件。10年前から25%も増えた。うち自転車が歩行者をはねた事故は2700件で、10年前の5倍近くに上るという。この事態に、国も法改正や取り締まり強化など対策に本腰を入れ始めた。
道交法では、自転車は車道左側を走るのが原則だ。「自転車通行可」の表示がある歩道は通れるが、あくまで歩行者優先。前に歩行者がいる場合は、一時停止しなければならない。「のけ、のけ」とばかりに、ベルをチリチリ鳴らすのは心得違いもはなはだしい。
自転車事故の73%は交差点で起きているそうだ。信号無視は言うに及ばず、携帯電話や音楽プレーヤーを使いながらの運転は危険極まりない。夜間に無灯火で車道を逆走するに至っては自殺行為と言わねばならない。
自転車は手軽さゆえに、ついつい自分本位、ルール軽視の運転になりやすい。健康的で環境にやさしい優等生か、はた迷惑な「馬鹿車」か。乗り手のマナーが問われている。