あいまい決着

「やっぱり」というか、いかにも「らしい」というのが率直な感想だ。
高校球児の特待問題をめぐる日本高校野球連盟の決着の仕方だ。「一切まかりならぬ」と振り上げたこぶしもどこへやら、来年度も「暫定措置」として特待制度を容認するという。
「スポーツ技能に優れた生徒が経済的支援を必要とすると学校が判断した場合」との条件付きだが、いまどき「経済的支援が必要」な選手が何人いるだろう。私学側の猛反発に押され、高野連が体面だけを繕った印象が強い。お墨付きを得たとばかりに、これで来年も大手を振って特待生が横行することだろう。
「私学には経営がある」という。それは当たり前だが、私学といえども教育が本分であることに変わりはない。部活動のひとつに特別待遇を与えて生徒集めに奔走するのが、まともな教育機関の行為とは思えない。
有力選手を集めて甲子園出場を果たし、校名を売り出したい−それが一部私学の本音ではないのか。少子化時代の生き残りをかける私学の立場も分かるが、露骨な経営優先は逆に自らの首を絞めることになりはしないか。
高野連は、またもゆがんだ高校野球の体質を正す機会を失ったと言ってよい。見て見ぬふりをして今日の事態を招いたうえ、さらにあいまいな決着で収拾を図ろうとしている。今後の対応を「有識者会議」に丸投げするのではなく、自らの責任と意思を明確にするのが先決ではないか。