Mさん、安らかに

かつて京都府警捜査一課で活躍したMさんが、悪性リンパ腫で亡くなった。77歳。熊本・天草の出身。7年ほど前から抗がん剤を打ち、病と闘っての末だったという。
事件記者をしていたころ、Mさんにはずいぶんお世話になった。捜査本部から帰ってくるMさんを自宅前で待ち受け、押しかける。大きな事件が起きると、帰宅はたいてい午前1時、2時。それでもMさんは嫌な顔ひとつせず、やさしく家に上げてくれた。
居間の卓上には、夕食が2人前。どうせ今晩も来るだろうと、奥さんがご主人の分と一緒に作っておいてくれるのだ。「ま、どうぞ」とすすめられるビールをいただきながら、その日一日の動きや捜査の進展具合を聞かせてもらった。
もちろん、捜査本部では厳しいかん口令が敷かれているが、Mさんは意に介さない。「おたくらの仕事も、社会正義という面では同じ。苦労はよう分かる」。日焼けした顔を崩しながら言ってくれた言葉に何度励まされたことか。
殺人、強盗など強行犯捜査ひと筋の硬骨漢。がっしりした体格で頑健。「被害者の無念を思えば、頑張らんといかん」が口癖だった。長岡京市で山菜採りの主婦2人が殺害された事件では、時効の成立後もなおひとりで休みの日に現場へ足を運んでいたのを思い出す。
祭壇の前で奥さんが言った。「春に病院から一時帰宅が許された時も、ゆっくりしたらええのに、選挙(統一選)行かなあかん言うて(投票所へ)行きました。あれが家にいた最後。ほんとまじめな人でした」。金モールの正装に威儀を正した遺影が、少し照れ笑いしたように見えた。