「年金」基準緩和

去年の末、かの社会保険庁から「年金加入」についての確認はがきが来た。おぼろげながら学生時代に親が国民年金に加入してくれていたような覚えがある。はがきにはその記載がなかったため、その旨を書き、調査を依頼する項目に印を入れて返送した。
その時はまだ大きな問題になる前で、大して気にもとめていなかったが、今春「調査したが、確認できず」との返答はがきが社保庁から届いた。すでに両親は他界し、関係書類も一切なし。肝心の加入年月日さえ定かでなく、以後そのまま放ってある。
きのう、総務省の「年金記録確認中央第三者委員会」が、支払い証拠を持たない年金加入者の申し立てに対する基本方針を決めた。それによると①家計簿や給与明細、関係者の証言など間接的な証拠を認める②全く資料がない場合でも「総合判断」で認める−という。
「納付記録や領収書がない」として半年間で2万件にも上る受給申請が却下されているそうだ。今回の方針転換は、多分に参院選を意識した政治決着の色が強いとはいえ、あいまいな記憶のまま証拠もなく、あきらめ半分だった者には一筋の光明と言える。
問題は②の「総合判断」の中身だ。「性善説」に立ち「否定的な資料や事情がなければ、人柄・態度から総合的にみて認めうる」という。それはうれしいが、申請が正当か不正か、第三者委が短時間の審査で人柄や態度をちゃんと見分けてくれるだろうか。
頼りない自らの記憶を棚に上げ、淡い期待を抱いて、いずれ近くの社保事務所に出向こうと思っている。その時、もし「人柄・態度」ではねられたらどうしよう。そんな不安も少しある。