中村監督逝く

「そんな投げ方してたら、肩痛めるはずや」。中村雅彦さんから初めて声をかけられたのは、大学1年の春。京都御苑東北隅の今出川グラウンド。体育授業の「軟式野球」で投手をしていた時のことだ。
中村さんはまだ20代後半。大学で体育講師のかたわら、平安高校野球部の監督をしておられた。当時の平安は甲子園の常連、部員は百人を超す名門校だった。テレビで顔や声は知っていたが、その人から直接野球の手ほどきを受けるとは思ってもみなかった。
「いきなり球を肩に担ぐのではなく、ひじから上げる。ひじを、操り人形の糸でつり上げるように、こうやって…」。偉ぶるところがなく、分かりやすい言葉で手取り足取り教えてくれた。おかげで体育の授業は百点。大学で満点もらったのは、後にも先にもこれだけだ。
中村さんには、卒業後も取材相手としてお世話になった。春夏計13度に及ぶ甲子園出場、国民栄誉賞衣笠祥雄さん(元広島)ら教え子は数多い。しかし、中村さんはこうしたエリート選手だけでなく、草野球の育成にも情熱を注いだ。
授業を離れても自転車で御苑の球場を回り、個々のプレーから作戦の立て方、チームの運営に至るまで、聞かれたらだれかれなく懇切に助言を惜しまなかった。技術のうまい下手ではなく、野球が好きかどうか−そんな中村さんの哲学があったように思う。
後年お会いする機会はなかったが、病気がちだったと聞く。享年69歳。平安の「青年監督」そのままの情熱的な話しぶりを忘れない。