「狂い」のすすめ

わが子ができたら「自由人」という名前にしたい−そう話していた友人がいる。生まれた子が女児だったので実現しなかったが、のびやかでひょうひょうとした彼らしい発想だとその時いたく感心した。
仏教思想家ひろさちやの「『狂い』のすすめ」(集英社新書)を読んだ。著者はこの中で、世間に振り回される生き方をやめて「自由人」になれと呼びかけている。
世の中、どうもおかしい。狂っている。みんな世間の目や常識にとらわれすぎて、自分で身動きが取れなくなっているのではないか。そんな問題提起だ。
こんな社会では狂者の自覚を持って生きること。そうすれば、かえってまともに生きられる。「目的意識を持つな」「生き甲斐は不要」「ついでに生きる」「希望を持つな」…刺激的な言葉で読者を挑発し「ただ狂え」と奨励する。
世の中をすいすいと泳ぎ回るのが「自由人」ではない。社会の常識や他人の評判を気にせず「自分に由(よ)る」のが真の自由人だと言う。友人がわが子の名前に託そうとしたのも、そんな生き方だったに違いない。
著者は説く。「わたしたちがこの世に生きているのは、仏が書かれたシナリオの中で、それぞれがいろんな配役をもらって、その役を演じているのです」。しかめっ面をしてまじめにやるのは大根役者。肩の力を抜き、楽しくのびのびとプレイ(演技)すべし。「仏のシナリオは、わたしたちが人生を『遊ぶ』ように書かれているのです」との指摘にひざを打った。