記者の死

「原稿より健康」。新聞記者の世界で、よく言われる言葉だ。いくら良い記事を書こうと、自分の健康を損ねては何にもならない。仕事も大切だが、わが身も大事。命あっての物種、というわけだ。
記者も人の子。当たり前の理屈だが、これが極限の状況になると難しい。ミャンマーで日本人記者が治安部隊の発砲を受けて死亡した。銃を手に駆け出す兵士、逃げ惑う民衆、その間に仰向けに倒れながら、なおカメラを構えて撮影しようとしている記者の姿に息をのむ。
フリーのカメラマンで、東京の映像通信社の契約記者としてミャンマーの反政府デモを取材中だったという。50歳、イラクパレスチナでの取材経験もあったらしい。「誰も行かない所へは、誰かが行かなければならない」が口癖だったそうだ。
戦場や大災害など著しく生命の危険を伴う現場へは誰しも行きたくないし、行かせたくない。日本のマスメディアは特にこの傾向が強く、今回のミャンマー報道もすべて隣国タイ・バンコクからの発信だ。
そのすき間をぬうのがフリーのジャーナリストだ。スクープと背中合わせの危険も承知で現場に飛び込み、取材対象に肉薄する。それを「功名心」「記者魂」と片付けるのはたやすいが、現実は過酷で、時に残酷だ。
記者とは? 報道とは? スクープとは? 重く厳しい問いかけに、答えが見つからない。