「コテコテ論序説」

「大阪」と聞いて、一番先に浮かぶイメージは? 吉本新喜劇くいだおれ、道頓堀、川に飛び込む阪神ファン…「コテコテ」と称される大阪のシンボルの多くが、ミナミのなんば界わいに集中していることに気づく。
上田賢一『コテコテ論序説』(新潮新書)には「『なんば』はニッポンの右脳である」の副題が付いている。著者は地元在住のノンフィクション作家。大阪を代表する繁華街・なんばの歴史をたどり、その魅力と活力の源を探る。
明治以前のなんばは、一面ネギ畑だったそうだ。「鴨なんば」や「カレーなんば」の「なんば」はネギのことで、なんばがネギの産地として有名だったからとの説があるという。真偽は定かでないが、そんな農村が明治に入って一大変身を遂げる。
起爆役は大阪−堺を結ぶ鉄道(現南海)の開通だった。「乗客を喜ばそうと、わざとカーブして走った」との伝説が残る。サービス精神は大阪人のDNAらしい。人の往来からやがて見世物小屋、映画館、食堂街、吉本、野球場へと今に続く「コテコテ」の原型ができてゆく。
大阪弁阪神、お笑い…筆者は、いま全国の人々が大阪の街が持つ「感情」に共感していると見る。「近代化が行くところまで行ったいま、だれもが左脳的な論理に限界を感じている。どこかで右脳的感覚を求めている。…右脳の覚醒により私たちは全体性を取り戻す」。
「大袈裟な、とお思いならば、一度なんばに来てみてほしい。…きっと訪れる人をリフレッシュしてくれるはずだ」との結びに、この街に対する筆者の思い入れを感じた。