言葉のタネ

作詞家の阿木燿子(あき・ようこ)さんの話を聴く機会があった。先日、長野市であった新聞大会での1コマ、地元生まれの阿木さんが昼食会のゲストスピーカーに招かれた=写真。
聴衆は全国の新聞社幹部約550人。平均57、8歳、ほぼ全員が男性だ。冒頭、阿木さんは「大変あがっています」。鳥羽一郎の刑務所慰問を引き合いに出して「彼の心境が分かりました。これだけ男性ばかりの場は刑務所ぐらいでは」とチクリ。まず一本取られた。
演題は「ひらめきと感性を磨くには」。作詞家生活32年、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」をはじめ、数々のヒット曲を飛ばしてきた創作活動のツボを聞かせてくれた。
阿木さんは自らを「技術で書くのではなく、ひらめきを待つタイプ」という。自分の中に「もう一人の私」をつくっておいて「考えといてね」と頼む。いざ詞を書く時、その「私」に「考えといてくれたぁ?」とノックすると、フーッと言葉が浮かんでくるのだそうだ。
「苦労して書くと、それが行間に表れる。そうではなく、心の中から喜びを表したい、痛みを伝えたい、励ましたいと思うと、ひらめきの淡い光が降りてくる。ひらめきは心の一番しぼり」
心を育てるうえで言葉の力は大きい。「自分が発した言葉はブーメランのように自分に返ってくる。心は土壌。愛情ある言葉のタネをまけば、やがてすばらしい果実や花がなる。ふだんから人にも、自分にも、どんな言葉をかけているかが大切」と説いた。
「主人(宇崎竜童)は今も1日10回は『君はかわいい』と言ってくれます。私も必ず『あなたもすてきよ』って返してます」。まいった。