「やっぱり」と「まさか」

金大中拉致事件の再調査報告書が、きのう韓国の政府機関から発表された。目をむくような新事実はなく、これまで日本の捜査当局がおよそ描いてきた構図の範囲内だとされる。
事件は、やっぱり韓国中央情報部(KCIA)による組織的で計画的な犯行だった。目新しいのは、従来かたくなに否定してきた韓国側がこの事実を初めて公式に認めたことだ。
韓国政府は調査結果に基づいて、早急に日本に謝罪すべきである。政府機関が白昼堂々と日本の主権を侵害した行為だけでなく、事件後34年にもわたって事実解明の努力を怠り、日本側の捜査協力要請にも応じてこなかったことを率直に陳謝しなければならない。
それがどうだ。報告書は「日本政府が韓国の公権力介在を知りながら外交決着を図り、真相究明できない結果を招いた」と言う。まるで責任の一半は日本にあるかのような言い草だ。
冷戦下、国家間の対立を恐れ、事を荒立てぬよう外交的な解決を選んだ日本政府の対応は国内で「弱腰」との非難は受けても、韓国から責任を指摘されるいわれはない。捜査を妨げたのはほかでもない、韓国政府であったことを棚に上げてはいけない。
この点について、当の金大中氏までが日本政府に「遺憾の意」を表明したとの記事に「まさか」とわが目を疑った。いくら「被害者」とはいえ、自国の政治対立を他国にまで及ぼし、その政府や捜査当局に多大な労力と負担をかけた事実をどう考えているのか。
金大中氏はその後、大統領にまで上った。なぜ、その時に今回のような調査ができなかったのか。その釈明が先ではないか。