「神様」逝去

かつて稲尾和久さんと隣り合わせたことがある。もう30年以上前、西京極球場の記者室。こちらは駆け出しの運動記者だった。
自社の席につくと、隣に柄の大きな中年男性が座っている。チラッと顔を見た。ン? どっかで見たことあるぞ。なんと「神様、仏様、稲尾様」といわれた伝説の大投手ではないか。
とにかくでっかい。腕から肩、首にかけての分厚さはまるで肉の塊、小山のような重量感があった。へえ、これが漁船のろをこいで鍛えた体か−子どものころに見た『鉄腕稲尾物語』の映画や漫画のシーンを思い出していた。
稲尾さんは当時、太平洋クラブの監督を退き、スポーツ紙の契約評論家をしていたと思う。スポーツシャツにゴルフズボン姿で、旧知の古参記者らと談笑していた。声をかけられなかったが、偉ぶったところのない話しぶりで、人懐っこそうな横顔が記憶に残っている。
14年間で通算276勝。西鉄時代の三原脩監督は、稲尾投手の酷使を聞かれて「花は咲きどき咲かせどき」とうそぶいたそうだ。鬼の上司にモーレツ社員−熱い時代の濃密な人間関係の中から、偉大な記録の数々が生まれた。
今年の日本シリーズヒルマン監督はダルビッシュに4連投させず、落合監督完全試合目前の山井を交代させた。平成の球界に三原監督なく、稲尾投手もいなかった。
70歳。「きらっと光って、すっと消える」(大沢啓二氏)と評された得意のスライダーにも似た生きざまだった。