義士まつり

「松の廊下」での刃傷事件を国元へ急報した早かごの足跡をたどって、落語家の三遊亭楽松さん(43歳)が東京から12日かけて走破、きのう無事赤穂にゴールインしたそうだ。
東京−赤穂約650km。元禄の早かごはそれを昼夜兼行で4日半で走ったという。普通の旅人なら2週間以上、飛脚でも8日はかかったそうだから、その速さが分かる。宿駅で乗り継ぎ時間がかかったはずだが、1分も休まなかったとしても時速6kmほどになる。
急使に立てられた萱野三平は途中、摂津・萱野村の生家の前を通りがかり、はからずも母の葬儀に出合う。同行の早水藤左衛門から「ひと目母上に会ってこい」と勧められたが、主君の一大事を託された身。泣きながら手を合わせ、かごを急がせたと伝えられる。
JR播州赤穂駅近くに残る「息継ぎの井戸」は、息も絶え絶えに城下へたどり着いた2人がひと息ついた場所として知られる。電話もメールもなかった時代、想像を絶する苦闘の道中だったに違いない。
三平は、父の反対であだ討ちに参加できず、忠孝の板ばさみとなって討ち入り前に切腹する。27歳。仲間と行動できず、無念の最期だったが、後世の人たちは高輪・泉岳寺に供養墓を建て、四十七士と一緒に手厚く祭っている。
きょうは義士まつり。京都・山科、赤穂などゆかりの土地で三平も同志とともに胸を張って練り歩いたことだろう。